四月になれば彼女は

つれづれ No Comments

満開の桜の美しさは、どこか切ない。(と感じる自分がいる。)

花曇りの休日に、川村元気さん作の「四月になれば彼女は」を読んだ。

 

私には本友がいて、「読んだら、感想をきかせて。」と

自分ではチョイスしないような本を貸してくれる。

 

不思議なことだが、それらの本は、

その時に考えていることにテーマが沿っていて、

自分でも気付いていない、心の奥の深い所にある何かを揺さぶる。

 

サイモン&ガーファンクルの名曲『四月になれば彼女は』になぞらえて

四月から始まる十二ヶ月の恋愛物語は、過去と現在が交錯し、

ラストに向けて進んでいく。

「分かり合いたいけれども、分かり合えない。ふたりでいるのに孤独を感じる。

一度は同じ思いを共有した恋人たちも、やがて避けがたく気持ちが離れてしまう。」

愛の残酷と絶望。

 

この世には、宇宙の法則というべき普遍真理がある。(と私は信じている。)

それは、「永遠=不変はない」ということ。

変わり続けることこそが、この世に生を受けたものの自然な姿だと思う。

 

だから、誰かと心が通じたと感じたその瞬間が

(たとえ大いなる誤解であったとしても)特別なのであって

そういう瞬間を味わったことは、しあわせと呼ぶのにふさわしい。(と感じる。)

 

ぱっと咲いて、さっと散る桜のように、儚いものは美しい。

それは、「絶望の果てまで行った先に見えたかすかな“光”」も同じ。

 

散る花を惜しんで、終わりの哀しみを感じたとしても、

生命さえあれば、季節は巡り、来年もまた桜の季節はやってくる。

 

「読後の感想は?」と聞かれたら、

「インド洋とアラビア海とベンガル湾、

三つの海域の交錯する聖地カニャークマリへ行き

フィッシュカリーを食べたくなった。」と言うことにしよう。

 

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「四月になれば彼女は」川村元気著

文藝春秋社刊

goo.gl/ipCpLm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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